2008年4月27日日曜日

保育園の思い出



日本に住んでいたときには三歳のときから六歳のときまでに保育園に行った。日本人ばかりの保育園に白人の子供の一人、もちろんおかしくに見えたが、これは私の最初の日本語習い方だった。最初に言った保育園の容疑室は暗くて、保育士さんは厳しくて、子供の世界でひどい人に見えた。この保育園での最後の日には母に「もうあの人を取り除いたね」と言ったこともあった。その後で新しい保育園に通って、すごい幸せだった。


保育園の三年間は面白くて、私の発生の頃にとても大切だった。毎年には新しい組に入って、組はつき、ほし、にじなどと呼ばれていて、いい友達も馴れ合った。それで、普通の保育園のように取り仕切ていた。いい天気にはそとに遊んで、雨だったら屋内に「お母さん」遊びだった。いつもお散歩に行っていて、公園や動物園に行ってしまった。運動会がいつもあって、泥んこパンツ、白いシャッツなどを着て、黄色い帽子をかぶってチームに色んなゲームをして、母や兄が来て参加したことがある。リサイタルのときには、「大人になって何になりたい?」とテーマがあったときに、私はバレリーナになりたかったが、いくらかの主婦になりたかった女の子たちはすぐバレリーナに変えた。クリスマスのときにもみんなが手作りを売っていたときにはおもちゃのお金を使って綺麗に包んだおもちゃのキャンディなどを小さいおもちゃの買い物籠にいれて両親にそのプレゼントを買ってくれた。
この保育園で靴下を着るのは禁止で、自分のお箸や弁当を持ってきても言いし、給食もあげてくれた。小さい頃に保育園の牛乳だけを飲むのが好きだった。ある日、雨が降ってたときに雷鳴がごろついていて、保育士さんは「へそをかぶせないと、雷様が盗んでしまうよ」といった。いつも保育士さんは紙芝居を読んでくれて、とても楽しかった。

アメリカン・スクールという学校の一年生を開始したとき、私の保育園はさらばパーティをあげた。プールに泳いだり、スイカわりをやったりして、とてもほろ苦いさらばだった。その保育園は明らかに私の子供の状態に大切だった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ああ、これは、本当に面白いですね。私のホスト妹さんは、幼稚園に行っていました。時々私は、連れて行ったが、お母さんたちと先生は、私のことについてばかり、ホストお母さんに聞きました。その会話が全部分かったので、ちょっと恥ずかしかったです。でも、日本の保育園に一人の外国人として、難しそうですね。

たこ焼き さんのコメント...

すごくかわいいですねえ!
大きくなったら何になりたいかという質問は小学校のころも作文に書くなどしましたが、バレリーナと書いていた子はひとりもいなかったと思います。アメリカにはpreschool tutuなどのクラスがあったり、バレリーナの絵のついた物がたくさんあったりして、「プリンセス」ものが大人気ですが、日本はそうではありません。どうしてでしょうね。