2006年12月8日金曜日

日本の給食とアメリカのランチ ~アメリカのランチはアメリカの個人主義を現している

中学1年生に日本からアメリカに移住した私を待っているのは数々の変化だったが、給食時間ほど驚かされたことはなかった。何も知らなかった私は、朝、母が作ってくれたサンドイッチをどこで食べればいいか分からなく迷っていた。他の生徒達の後をついて行き着いた所は、日本では見たことのないカフェテリアだった。カフェテリアは一度に全生徒が座れるほどの大きい食堂だ。席に座りサンドイッチを食べ始めた私をアメリカの給食文化はもう一度驚かせた。生徒たちのトレイに載せてある違う組み合わせの給食は日本とはまったく違ったのだ。

こういう光景は日本の中学校では考えられるだろうか。毎日教室でクラスメイトと同じ給食を食べる日本の給食時間とはとても違う。選択肢のあるアメリカの給食の献立と給食時間の使い方は日米の給食文化の違いだけてない。給食からは両国の社会の重要な違いも分かる。たとえ公立学校だとしても自分の給食を毎日自分自身で選ぶアメリカの社会は、日本よりもっと個人主義だと主張したい。

私の今述べた経験が語るように、アメリカの給食は自由に溢れている。給食を家から持ってくるか学校で買うかから始まり、何を食べるかまで個人で決めるのがアメリカの給食の特性だ。昼食の選択以外にも飲み物、デザートなど色々なオプションもある。このようなオプション中、何をどれ位食べるかは生徒の自由だ。アメリカの生徒たちは自分の好きな物を好きなだけ食べる。

それに比べ、日本の学校では各生徒の好物や必要性を考慮することなく、学校のみんなが同じ物を同じ位食べる。もちろんおかずは個人の好みで決めるが、たいていの学校では決まりがある。例えば、私の通った小学校では飲み物は水以外禁止されてい、お菓子やデザートは一切持ってくることができなかった。

こういう日本の決まりは給食に対する個人的な自由を制限する。規則だらけの日本の給食文化に比べアメリカでは献立の規則はめったに見つからない。それはどうしてなのか。

選択の幅が広いアメリカの給食文化は献立で終わらない。アメリカでは給食時間はみんな食堂で給食を食べるわけではない。給食時間に給食を食べるか、給食時間を生かしもっと有効に使うかは生徒次第。放課後ではなく給食時間に行われる 同好会もあれば、生徒の質問に給食時間に来いという先生もいる。または静かに勉強するのを好む生徒たちはクラスにいず図書館に行き、疲れ取りに外や体育館に行きちょっとした運動をする生徒もいる。日本の給食時間には食べ終えた後外で遊べるが、上に述べたような選択肢がない。

何を食べるかが決められている。どれ位食べるかが決められてる。どこで食べるかが決められている。誰と食べるかが決められている。日本の給食文化に決められていないのは給食時間の会話位だろう。アメリカの給食文化と比べても限定されすぎで生徒の自由は減らされる。

1762年、ジーンージャクェスルソーは「エミール」という革命的な教科書を出版した。彼はその教科書で「食教育」=「健康教育」=「民主的な主権者を育てるための政治教育」と主張。つまり世の中の主人公、社会の主人公、国家の主人公を民主的にするには、まず食教育をきちんとしなくてはいけないと言うことだ。自分で自分の体の健康を考え、まともに行動する教育が実の給食教育だと言われる。現代の選択もできない日本の給食は、ルソーが述べた食教育とはほど遠い。

両国の給食文化は日米社会の違いを現す。日本では給食当番を指名し、皿配りから後片付けまでクラスみんなで協力し合う。だがアメリカではお弁当を持ってくる事や食堂に行き給食を買うのは個人的な責任である。これは日本ではみんなで協力し目標を達成しようとするが、アメリカでは個人の力で達成しようとする現象を示すと思う。

アメリカの最近の個人主義の実例には京都議定書が思いつく。京都議定書とは、色々な国が集まり地球の温暖化を防ぐため1997年にできたプロジェクトだ。だが、2005年の二月、アメリカは京都プロトコールに参加するのを中止、世界から注目を受けた。このアメリカの行動はアメリカが個人主義だからこそできる行動だと思う。こういう国家的な出来事の反対に、アメリカの選択幅の広い献立や制限されていない給食時間の活動はアメリカが日本より個人主義だという主張を身近に証明している。

参考書
1. Rousseau, Jean–Jacques., Emile, 1762.





          

1 件のコメント:

DT さんのコメント...

Narrleyさんは日本とアメリカのランチを比べて作文を書いた。個人的な経験を元にしてアメリカのスクールランチはアメリカ人の個人主義を表すと書いた。それで、アメリカの州政府や学校などでランチ制度が異なり、例えば、ランチの選択ができない子供は日本人の子供とどのような類似点があると思う?