半世紀以上前のことだが、第二次世界大戦はまだ東アジアの諸国の大勢の記憶に残っている。直接な被害を受けたことのない現在の若者も、国際関係や政治界や教育界などに及ぶ余韻に気が付いていないわけもないだろう。日本の政治家は、どのように戦争に関する歴史を生徒に教えようか、どれほど謙虚さを外交政策に入れようか、戦争のために命を捧げた者をどう扱おうかという質問と直面しなくてはいけない。戦争中の行動を何度も正式に謝罪をしたことがあるけれども、歴史的問題が表れつつある。その中には、靖国神社への参拝、東アジア出身の慰安婦、教科書の中身などという問題がある。戦争犯罪を犯したという責任を自発的に取る侵略国のドイツに対して、日本政府は気が進まないと思われているのだろう。中国・韓国人はこの態度を見て、デモを起こすこともある。日本の政治家は、幾分はそのような罪悪感を感じさせられる抗議が役に立たず、ただ神経を尖らせてしまうという意見を持っている。日本と他国の歴史観の相違はいつか一致するのだろうか。新しい世代の登場とともに忘れられていくのだろうか。それとも、また半世紀が経って、戦争の論争は果てなく続くのだろうか。
太平洋戦争の終了の1945年以降、前述のようなことが起こってきた。しかし、戦争直後の被害者の遺恨は当然なものだから、近頃の出来事のみを考えよう。教科書の場合は、米国マスコミでも報道された2005年中国の反日デモがあった。それは「新しい歴史教科書を作る会」というグループが提案して、文部科学省が認めた本に対した抗議デモだった。それ以前の2001年の事件も同会の教科書が発端であった。2001年版の教科書の中には、「これまでの歴史で、戦争をして、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさい犯さなかった国はなく、日本も例外ではない」という箇所があって、南京事件に疑問を投げることも争点になってしまった(288,295、新しい歴史教科書)。こんな教科書を許す日本政府の姿を見る中国・韓国人は、嫌がっても仕方がない。しかし、この教科書を採用している学校が非常に少ないという事実は中韓の抗議者に知られているのだろうか(Issues: History Textbooks)。面白いのは、一番抗議しているのは中国政府ではなく、国民であるということだ。戦災を受けた国の政府はその国民より和解への協力をしているというわけか、明白ではない。しかし、国民が自国政府の願いに逆らっているということはその抗議者の意見の気勢を浮き彫りにする。論争はそう、二つのグループに分けられている。一方は日本の歴史を誇りに思えるようにしようとしている日本の右翼であって、もう一方は、日本に戦争犯罪を反省させようとしている中韓の抗議者などがいる。その両方の真ん中には、急に優先されている経済安定と地域防衛は注目に値するものになっているのではないか。
政権が変わったばかりの今、鳩山首相は中国と韓国との歴史的和解を一途に求めている。鳩山首相は、東アジアの様々な歴史観は経済、貿易、文化交流、環境問題などの解決への障害になっていると思っているようだ(”Hatoyama expects…”)。その分野には、歴史問題に対する情熱を逸らすためには、国連のような国際機関を想像している。国連を模範としてそれに類似する地方機関を設けるという目的を実現させるためには、第二次世界大戦から残っている問題を地方として一生懸命解決するしかないのだろう。民主党の鳩山首相の視点に対して、自由民主党は曖昧な立場にいる。2009年発行の教育政策に関するパンフレットによると、自民党は「バランスの取れた歴史教育」や「日の丸と君が代に対する正しい教育」などという教育観を持っている(”子供は国の宝”)。それは、愛国心と強く繋がっていることだと自民党は思っているかもしれないけれど、中国、韓国などにとっては、間違いなく、和解への障害になる姿勢なのである。「バランスの取れた歴史」は確かに意味不明だが、東アジアの戦災を受けた国の国民ともなれば、何といっても、日の丸という旗と国歌の「君が代」は日本の帝国時代の象徴と広く認識されている。
これからは、第二次世界大戦の問題はどうなるのだろうか。未来を知れずに、ひとまず現在の日中における世論を調べよう。2009年に行われた第5回日中共同世論調査によれば、その両国が首脳会談を開いたら何を議論して欲しいかという質問によって、調査対象の中国人と日本人の考え方の相違が浮き彫りにされた。日本人にとっては、北朝鮮問題と食の安全という選択が一番論じて欲しいものであった。それに対し、中国人は「歴史問題」を一位にした。歴史問題をもっと詳しく聞くと、日本人の対象は、一番解決して欲しがっていたのは「中国の反日教育や教科書の内容」であった。中国人にとっては、南京に対する認識はなによりも解決しなくてはいけないことであった。両国の対象の2、3位は日本首相の靖国神社への参拝と日本の歴史教科書問題という選択であった(東京ー北京フォーラム)。日本人と中国人との間には意外な共通点があるというのは、この両国の間の問題を乗り越えられる未来を指していないのではないだろうか。
新世紀の若者は大東亜戦争の議論を置き去りにしたがっているはずだろう。東アジアが新しい状況に入っている今は、過去から逃げ出せられないままでいてはいけない。例えば、日本の軍隊化は東アジア全体の防衛、テロ対策の役割を果たすかもしれないが、東アジアの人々に第二次世界大戦のことを思わせる限り、第21世紀には正しく進むことが出来ない。
2010年5月4日火曜日
東アジアの第二次世界大戦をめぐる論争
Posted by
Jack
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21:58
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