2009年4月21日火曜日

大衆文化の「太平洋戦争: 漫画家の目に映る戦争史

戦後にアメリカの占領地として日本人の国に対する見方がが大いに変わった。社会の自由化とそして日本史の教え方を変えることで、日本人は日本の国家が分かる基盤がずいぶん新しくなり、もっと自由な位置に動いてきた。但し、当時敗戦の事実を受け入れることが出来なく、人は戦前の歴史を帝国的な栄光の連続と解釈し始めた。1960年代に始めの改正的な太平洋戦争に関する本がますます出版された。この時点から現代にかけて、修正主義という極右の運動が強化されてきた。最近、太平洋戦争と中国で戦った退役軍人の数が非常に少なくなっているに伴って、若者大衆文化の広場で日本の戦争の歴史がますます「極右」かまたは「修正主義」という歴史学者だけで形成されるようになっていると言える。90年代に始まり、特に人気がある漫画が日本の社会と歴史討論の機会を与えた。それから最近、また違う作家の漫画が出た。小林よしのりと水木しげるの2つの漫画を通じて、現在の日本の戦争の歴史が若者に対してどうやって説明されているのか。span id="fullpost">
戦後の日本の中では、太平洋戦争を戦う弁解ということは学界で何回も激しく討論されたことがある。大部分の歴史学者は戦争を大きい失敗と見なし、日本国家の一番暗い歴史の時点と説明した。こうした考え方は世界の歴史学者の意見に似ている。日本の軍部と軍隊主義に基づく政府は自らの国民を強制的に戦争に参加させ、政府の被害者としても見られている。しかし、他の意見によると1930年代と40年代の日本人は当時の政治的な状態や軍隊化を特に批判したわけでもないと見える。日本の軍隊と政府は日本人を激しく圧迫したり、権利を盗んだりという点に多くの学者は賛成している。
小林よしのりが描いた「戦争論」という漫画が多くの若者と大人を新しい観点に紹介した。( Sakamoto, Rumi, “Will you got to war? Or will You stop being Japanese?” Nationalism and History in Kobayashi Yoshinori’s Sensoron, http://japanfocus.org/-Rumi-SAKAMOTO/2632) 小林さんはそれほど学術的ではない作品を書いたのに、「戦争論」は異常に長い文章がたくさん載っている。日々の言葉を使用して「戦争論」は読みやすくて目を引き続けることが出来る作品だ。(Ibid) 「戦争論」の内容は基本的で、かなり議論の余地がある。小林さんの視点によると、戦後の日本で教えられる歴史はアメリカの観点から作られ、日本人の頭に日本史や伝統を反対する思想を注入していたということだ。(Ibid) つまり、小林さんによると、戦後の日本史の教え方は実にすっかりマゾヒストだそうだ。結果、日本の若者に明らかな愛国心の不足がある。小林さんは「戦争論」に日本が韓国と中国で「犯した」罪を釈明する理由は存在しないと言う。よく想像して描いた話で、小林さんはあまり日本の戦争歴を知らない若い読者に、日本が太平洋戦争で西洋的な植民地主義との日本の安保を守るために戦ったイメージを押し付ける 。(Clifford, Rebecca, Cleansing History, Cleansing Japan: Kobayashi Yoshinori’s Analects of War and Japan’s Revisionist Revival http://www.nissan.ox.ac.uk/__data/assets/pdf_file/0009/9981/NOPS35.pdf)

戦争時代を背景すると話に加えて、小林さんは自分の漫画を現在の若者が苦しんでいる社会的な病気のことを話す機会として使う。よく「戦争論」に書かれているように、小林さんは日本の文化の西洋化と日本特有の伝統と歴史的な価値観に対して若者が無頓着なことが深刻な問題になっていることを悩む。それに小林さんによると、若者の性交に対する自由な考え方や女性の社会的自由や天皇制にはもう多くの意義がない。だから、日本の若者は日本人としての誇りをもてなくなると言う。そして現在の若者にとっては、戦前の道徳と生き方を選択することは理想だ。それで、大部分の日本人にこういう「理想的過去」はアジア人に対する差別や激しさが入り込んだ時代だと見られるということは日本の退役軍人や自分のお爺さんの世代に向けた無礼であると小林さんは言う。こんな強調を説明するために、小林さんは退役軍人が簡単に日本とアジアを解放するために戦ったから、自分のお爺さんは批判されるわけがないと論じる。でも、戦後の日本は退役軍人は誇りを持つことが出来ない社会を作ったと小林さんは信じる。戦争の討論に日本の退役軍人を「声がない人」と代表することで、感動的に日本の若い読者を刺激する小林さんの意向が明確になる。(Ibid) 「戦争論」の日本で、現在の若者は自分のお爺さんの戦った動機を将来に背負っていくべきだと小林さんが呼び掛ける。

小林さんは戦後に一般的な中流の家族に生まれたが、自分のご両親の政治は大部分の日本人と違った。マルクス主義者の家で成長して、小林さんはあまり保守的ではなない環境に育った。小林さんは日本で最も知られている修正主義者になり、基本的に違う歴史の観点を若者に与える運動の指導者もになっている。(Sakamoto) 三島由紀夫という有名な極右の作家のように、戦前と戦争中の昭和時代の長所だけについて話す。さらに、戦争の感動的な重荷を担ったことがない人として、太平洋戦争の時代に自分より大きくて具体的な生きる動機がある時点を日本の文化の極端に達したと議論するのは歴史に対する浅薄な理解を反映すると私は思う。小林さんの昭和時代の描写は特にきれいではない事実と社会的で政治的圧迫を含めない。こんな理想的な日本には国家の栄光のために死んでくれる男子がいるし、社会の信条が天皇を参拝することに根強くて、女性は男性の邪魔をしない。全般的に、「戦争論」と他の小林さんの作品に女性は馬鹿なが女の子か素直なお母さんとして現れる。(Clifford) 言うまでもなく、こんな女性のイメージが理想である限り、明らかに小林さんの「日本」には女性の権利と人権が大切なことではないだろう。小林さんは「戦争論」で現在の若者が歴史に無頓着だということを強調するのは褒められるべきだ。但し、この複雑な問題の解決が空想的な歴史の解釈に存在していると言うことは無茶な歴史の解釈の極端だ。だが自らの「戦争論」を100万冊以上も売ることに成功したことは、特定の大きい若者集団が実際彼の理論を聞いている証拠だ。

小林さんの「戦争論」のテーマに反して、水木しげるとさんの体験が「戦争と日本」という漫画の中にある小林さんとは逆の観点を浮き彫りにしている。「ゲゲゲのきたろう」という漫画とアニメの作家としてよく知られている水木さんは兵士として太平洋戦争に参加した。水木さんは長い間日本の若者向けの話を作っていた。小林さんは極右に含まれると言えるが、水木さんはきちんと左か右だと言えない。(Penny, Mathew, War and Japan: The Non-Fiction Manga of Mizuki Shigeru, http://japanfocus.org/articles/print-article/2905) それに水木さんは左の代表者だかと言うと、明白な左の傾向を見せるというより伝統主義の価値観を見せる人だ。伝統主義の価値観を持つ面では、小林さんと水木さんは一緒に沢山の共通点を持っていると言ってもいいほどだ。しかし、もっと深く見ればこの二人の持っている伝統主義の理解が大いに違うとすぐ分かる。(Ibid)
水木さんは小林さんのように天皇制が大切な文化遺産だと信じる。水木さんの価値観に強い神道の思想が見られる。つまり、水木さんによると自然に森の主と池の主がいるように、天皇も国の主だ。でも、小林さんと違って「戦争中の主」ということに対する愛情がない。 自らの苦しい戦争の体験に基づいて、「戦争と日本」という漫画が戦前の時代の厳しさとそして戦争のきつい現実を照らす。(Ibid)

「戦争と日本」は始めて80年代に出版され、未だに若者と大人に読まれている。(Ibid) 「戦争論」と同様に分かりやすい構造を使用して、作家の心が注入されているという印象を与える。小林さんの作品に比較すると、水木さんの漫画は読者に絵と内容という面でもっと正直で懐古的ではない観点を発表する。たとえば、水木さんは「戦争と日本」に南京の事件と他の戦場について話す時に、現実的で激しい絵を通して戦争と死亡を代表する。戦争論のきれいな戦争の場面に反して、水木さんの絵は読者にもっと正直な戦争のイメージを表示する。基本的に水木さんの漫画に描かれる歴史的な解釈は日本人か日本の国家を被害者の扱いにしないということだ。水木さんは自分の漫画の始めのページから日本帝国軍は加害者であるという見方を真剣に議論し、乱暴と残虐のイメージを含める。南京とシンガポールで有名な日本帝国軍隊に犯された大規模の非道行為を重視することで小林さんの「戦争論」にある最も大事な点に反対する理論を与える。アジアで西洋の帝国主義を押さえるために戦っている栄光のある日本帝国軍人という小林さんの空想的なイメージに対して、水木さんは退役兵士としてどうやって軍隊は敵命に価値を置かないかという暗い詳細を暴露する。
また小林さんは戦争を経験しなかった人ということで、それから「戦争論」は、空想的な昭和時代を、理想的な道徳があった時代と現在の若者に論じることは無責任に近いのではないかだろうか。「戦争論」の内容は歴史的な基礎がない懐かしい修正主義の上に立てられる。それで小林さんの主張する将来は過去と違う肯定的なものが与えられないと私は推測する。結局、「日本と戦争」は仮定した現在の大衆文化の価値観の紛失と取り組まない。水木さんは現在の若者の文化に関する問題を解決するために、太平洋戦争の時代にあった道徳を回復する必要が見えない。(Ibid)
戦争の時代から日本の社会はもっと遠のくにつれて、若者にどの様に太平洋戦争の歴史を教えるかという戦いが大事になる。退役軍人が少ない日本には、小林さんの「戦争論」のような戦争と昭和時代の解釈はますます若者に影響を及ぼしていく可能性が高いだろう。水木さんの漫画はやっぱり100万冊も売れていない。戦争論ほど人気がある漫画はまだ登場していない。「戦争論」と同じような漫画は多くの若い読者の耳目を引いているということは現在歴史教育制力の欠如しか示さない。日本の若者向けの適切な戦争の歴史の議論がない限り、「戦争論」の空想が「日本と戦争」の現実に基づく語りより若者を感動し続けるではないのか。つまり、基本的に戦後の日本の社会は最も大事な20世紀の経験を話すことを避けた。結果、戦争と戦前の歴史の思い出は歴史的な実を無視する作家によって定義されている。小林さんの意見はまだ小さい部分で、現在の日本は急に修正主義者になるというわけではない。だだし、小林さんの光理想的な日本の話が次世代を説得させる能力を日本人は無視するわけにはいかない。

1 件のコメント:

たこ焼き さんのコメント...

まず、どういうきっかけがあって『戦争論』と『日本と戦争』を読もうと思ったのですか。