1776年にアダムスミスが提案した「見えざる手」という言葉は政治概念の説明のみに限られているのだろうか。スミスによると、政治の干渉なしに、各々が個人的な利益を求める事で「見えざる手」によって先導され、社会の利益に結びつくという理論だ。これは政治的な適用だけではなく言語的な適用もある。アメリカでは様々な人々が触れ合いながら暮らしているため、言語能力は社会で成功するために重要な役割を果たしている。しかし、「成功」とは各人によって違う意味合いを持っており、特定できない。例えば、ビジネスマンにとっては会社の発展や高所得などが成功とされるが、運動選手にとっては勝利することが成功である。人の前歴、職業、宗教、あるいは主義などによって成功の意味は変わってくる。それゆえに総称することは難しいが、メリアムウェブスター辞書によれば、「成功」とは目的を達成することを言う。一人一人目標は違うが、それぞれの目標を果たす事により、各個人は成功を味わうことができる。言語能力は個人の目標を達成するのにどのような利益があり、その成功はどう社会と結びつくのだろうか。この作文では日本語能力があってこそ得られるアメリカ社会での利益について検討したいと思う。
日本は世界有数の経済大国であり、国際的な企業を多数有する。その多くの会社の中でもホンダモーターズコーポレーションを例に挙げてみよう。2005年には全世界で335万台のセールスを突破し、ホンダは高まる需要に応じてアメリカの各地で支店を開くなど国際的な行動に出ている。以前、私は、オハイオ州にあるホンダモーターの支店で勤めているアメリカ人に、ベルリッツ言語センターを通して日本語を教えた経験がある。日本にある本社と取引するため、彼らにとって日本語を理解することは仕事における昇進の機会を増やすことだけでなく、商業の効率化につながる。
もう一つの例を挙げてみればコミュニケーションが浮かびつく。ここで意味するコミュニケーションとは、話し合うことだけではなく、情報を交換するあらゆる手段を表す。ハリウッド映画の日本語字幕や英語に翻訳した日本の新聞記事などを見ると、日本語と英語の意味が違うことがたびたびある。各言語独特のニュアンスが、翻訳途中で消えてしまうのだ。ただこれは、翻訳者にも感情や意見があり、避けられないことだろう。つまり、日本語を知ることで、翻訳者や通訳者などの媒体などを介することなく、作者の本当の意図を理解することができる。正確な情報は誤解を防ぎ人関係で欠かせない信用を齎す。信頼感の重要さはリチャードニクソン行政のウォーターゲイト事件を見ればよく分かる。政府と市民の信用が無くなった1972年代のアメリカは混とんとしていて、成功的な社会所か災害だったと言っても間違いはないだろう。
個人的に日本語が分かることによって得られる有利性は確立されたが、社会的にはどう言う影響を及ぼしてるのだろうか。今日「社会」という言葉は日常的に使われているが、この「社会」とはいったい何を指すのかをまず考えたい。社会とは様々な人が集まり、お互いを刺激しあえる環境だと言える。たいていの人は個人的な理由で外国語を学ぶが、もっと多くの人が外国語を学ぶ事で、グローバルな社会を作る事ができるのだ。言い換えると、社会を築き上げている市民一人一人の言語能力が伸びることで、社会全体の言語能力も伸びる。この概念は冒頭に述べた「見えざる手」に登場する資本主義を説明する時に使われる理論と同じである。この理論をアメリカ社会での日本語習得に当てはめると、日本語を個人的な理由で学ぶアメリカ人が増える事で、日米の文化交流が進み、アメリカ社会を成功へと導くということになろう。アメリカ社会の成功とはネットワークを広げることから始まるので、一人一人のネットワークがアメリカのネットワークになるのだ。
過去と現代の日本社会の国際交流には、大きな違いがある。外界との触れ合いを避けていた日本だが、今は国際社会においては経済国として重要な役割を果たしている。日本が世界へネットワークを広げると同時に、世界では日本語や日本の文化に興味を持つ人が増えているというのは事実だ。アメリカ人は日本語を理解する事で、特に日本企業での昇進の機会、正確な情報のやり取り、円滑な文化交流といった利益が生まれる。確かにこのような利益は個人的だが、社会の一人一人が自分の利益を追うことで最終的には社会的な利益と繋がる。どの国の言葉を知っていても損はしないが、アメリカで日本語が流暢だという事は、世界で最も影響力のある両国を繋ぐ掛け橋になるという事である。
2006年10月8日日曜日
日本語の利益 個人から社会へ
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