2005年12月2日金曜日

二言語を使用するのは得になる

「はい、••くん、次を読んで下さい」と毎週通っているペンシルバニア州の日本語補習校の国語の先生が言う。胸の中に急に重い感覚が広がった。昔から僕は国語が一番にがてだったのだ。他の生徒は全員日本で育った子で自分だけアメリカで育った子であった。僕は注意深く指示された文章を読み始めるが、自分を他の生徒と比べると不器用に聞こえる事は明白だ。翌日、英語の学校の友達の会話を聞いていると自分だけが自然と話せる「何か」が足りないと思う。どこに行っても自分だけが違う気分は離れない…。

僕は英語と日本語の二言語使用者だ。だが、数年前まで英語のレベルはアメリカの学校の生徒より低かった。日本語の方は昔、補習校に通っていた同級生と比べたら、今の自分でさえ彼らに比べたら桁近いに低くなっているに違いない。しかし、二つの言語で育った事は後悔していない。両親と日本の家族と日本語で話せる上、二つの言語を話せる他の有利な点が多いと自分の経験で分かった。ただし、二つの言語を使えるようになるには明確な方法がある。アメリカと日本の小学校の外国語教育導入はこの方法に入らない。

二つの言語を有効に使えるには子供がその二つの言語が必要と思わなくてはいけない。例えば、母が子供に日本語を話して、父が英語を話すとしたら、子供にとって両方の言語が必要だと思われる。母には日本語、父には英語と一種類の言語が一人の親に連想されて、子供は英語と日本語を混乱しないようになる。しかし、この家族がアメリカに暮らしていて、両親どうしは英語を話すとしたら、子供にとって日本語の必要が減ってしまう。子供が二つの言語を学ぶにはこの必要とする動機がなくなる。したがって、子供が二言語使用者になるには両親とも、またはどちらかが常に母国語を話す必要がある。つまり、二言語使用者となる子供は、絶えずに二つの言語を必要とする環境にいなくてはならない。

その環境に育たない場合、子供は有効に二つの言語を学ばない可能性がある。例えば、日本の中学の歳から始める英語の授業では中途半端で、時間と努力の無駄のように見える。先生が英語を話せなくて、生徒は読む事と書くことしかならえない。日本の国際化には実際に英語を話す必要があるから、学校の教室で学ぶ英語も話す事を目的とする教え方が重要だ。ヨーロッパでは五つか六つの言語を話す人が珍しくない。これは、ヨーロッパでは多くの言語を話す必要があるからなのだろう。日本でも英語や他の外国語が必要となる環境になれば、外国語教育導入はもっと有効にできるだろう。さらに、外国語教育では二言語使用者のようになるべく若い頃から学ぶべきだ。

二つの言語を使用する子供は僕のように不便になる可能性はあるが、やがて問題は解決される。それに、10歳から毎日二つの言語を使用する人は老化を防止する利益があるという研究がある。不便を上回る利益があるから、子供が二つの言語を学べる状況があれば二つの言語を教えたら良いと思う。それができなければ、今の中学からの歳ではなく、さらに若い頃、例えば小学校から外国語教育を始めたら良いと思う。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いまだに日本は言語に関して精神的に鎖国の状態なんだと思う。たとえば、ロシアは、日本の隣の国だけど、領土問題のときだけ隣になって、その他の時は、はるか遠くに忘れられているみたい。でも、ほかの国の言葉が必要になる状況は、もうそこまで来ている。

匿名 さんのコメント...

出だしが実にうまいと思います。補習校時代に感じた、その「違和感」はいつまで感じていましたか。