2005年12月2日金曜日

早期外国語教育、本当に母語教育にの障害なのか

 シンガポールのある小学校では、一年F組の生徒たちが汗まみれになって体育館で英語で叫びながら遊んでいる。英語で教えられている授業は体育のみならず、数学や歴史、殆どの教科はそうである。しかし一限目には皆は中国語・マレー語・タミル語のそれぞれの授業に必ず出席する。シンガポールは多民族の社会のため、英語は学校と社会で使う言葉となり、家では民族言葉が使われている。従って、学校の基本的な科目は英語で、一つの科目では自分の民族の言葉も教えられる。この方針に関して様々な意見があるが、この教育のおかげでシンガポールの子供たちは二つの言語を習うのはもとより、本当のバイリンガルになる。

 シンガポールならではの小学ニ言語教育は1970年代から始まり、政府によると大成功である。「70年代には政府は僕ら国民の期待に沿って小学校からニ言語教育に変えました」とあるシンガポール人の大学生が言う。「この教育方針については欠点なんて全く思いつけません。」しかし、シンガポール以外の国では小学校での外国語教育に反対している議論も強い。日本の学者の中でも小学校での外国語教育に反対している者が多く、必要性の疑問や言語中途半端の問題に差し挟む者が少なくない。しかし、この意見に関してどうだろう。最初の一・二年ぐらいは難しくて中途半端の子がいるかもしれないが、だんだんこの問題が自然的に消えてしまう。考えてみると大人の中では、言語中途半端の方がめったにいないのではないだろう。日本では授業が英語で教えられている国際学校がいくつかあり、小学校からこのような学校に通っている日本人の子どもも少しいる。この子達は日本語も英語も母語のように使えるし、両方の言語で論理的に考えられるようだ。万葉集まで完璧に読めるとはいえないかもしれないが、他の日本人と比べるとそれほどの日本語能力の差がないだろう。

 シンガポールの文部省や日本の国際学校の校長先生たちがよく強調することは、教え方が大事なのだ。未熟な言語教育計画を立てると外国語は小学校から始めようが始めまいがあまり違いがない。外国語の授業があるなら、その授業以外にその言語が使える機会が必要である。シンガポールの場合は英語が共通語であり、自分の民族の言葉は自分の家族と使っていることが普通である。日本の国際学校の場合は学校が英語のみで、学校以外はいつも日本語なのだ。ただ外国語の科目が一つだけがあって、それ以外の使える機会がないなら良い結果が出ないだろう。

 小学校からのそつのない外国語教育を実行するのが困難であるかもしれないが、本当に実り多い努力である。小学生から外国語を習うと言語中途半端の子たちが出るという議論があるが、むしろこのような子は二つの言語で論理的に考えられ、頭の鋭い大人になる。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

教え方が問題なのだ、という意見まったくそのとおりだと思います。

匿名 さんのコメント...

「本当のバイリンガル」の定義は何だと思いますか。