2006年12月1日金曜日

日本の給食とアメリカのランチ ~アメリカのランチはアメリカの個人主義を現している

中学1年生に日本からアメリカに移住した私を待っているのは数々の変化だったが、給食時間ほど驚かされたことはなかった。何も知らなかった私は朝母が作ってくれたサンドイッチをどこで食べればいいか分からなく迷っていた。他の生徒達の後をついて行き着いた所は日本では見たことのないカフェテリア。カフェテリアは一度に全生徒が座れるほどの大きい食堂のことを言う。席に座りサンドイッチを食べ始めた私をアメリカの給食文化はもう一度驚かせた。生徒たちのトレイに載せてある違う組み合わせの給食は日本とはまったく違った。

こういう光景は日本の中学校では考えるだろうか。毎日教室でクラスメイトと同じ給食を食べる日本の給食時間とはとても違う。限られていないアメリカの給食の献立と給食時間の使い方は給食文化の違いだけてなく日米社会の重要な違いも表す。たとえ公立学校だとしても自分の給食を毎日自分自身で選ぶアメリカの社会は日本よりもっと個人主義だと主張したい。

私の今述べた経験が話すようアメリカの給食は自由に溢れている。給食を家から持ってくるか学校で買うかから始め、何を食べるかまで個人で決めるのがアメリカの給食の特性だ。日本の給食を出す学校では各生徒の好物や必要性を考慮することなく学校のみんなが同じ物を同じ位食べる。限られた給食がないとして給食に対しての自由が増えたとは限れない。もちろんおかずは個人の好みで決めるがたいていの学校では決まりがある。例えば私の通った小学校では飲み物は水以外禁止されてい、お菓子やデザートは一切持ってくることができなかった。

こういう決まりは給食に対する個人的な自由を制限する。規則だらけの日本の給食文化に比べアメリカでは献立の規則はめったに見つからず。昼食の選択以外にも飲み物、デザートなど色々なオプションもある。このようなオプション中何をどれ位食べるかは生徒の自由だ。アメリカの生徒たちは個人的な好き嫌いに従い好きな量を食べる。

同じ年でも一人一人好物や食べる量が違い、自分は誰よりも自分を一番よく知っている。そのため選択可能な給食が合理的だというアメリカの個人主義な考え方だ。肥満の学生がいれば細すぎの学生もい、特定の栄養分を必要とする学生もいる。こういう違いを無視しみんな同じ物を食べさせるのは学生一人一人の特徴を尊重しない事になる。クラスを作っている一人一人の生徒を強調するのではなくクラスに含まれている一人とし、クラスをもっと調教するのは問題だと思う。生徒が作り上げているクラス自体を生徒より先に置くのは生徒に無礼だ。

選択の幅が広いアメリカの給食文化は献立で終わらない。アメリカではたとえ給食時間だとしてもみんな食堂で給食を食べるわけではない。給食時間に給食を食べるか給食時間を生かしもっと有効に使うかは生徒自体。放課後ではなく給食時間に行われる同好会があれば生徒の質問に給食時間に来いという先生もいる。または静かに勉強するのを好む生徒たちはクラスにいず図書館に行き、疲れ取りに外や体育館に行きちょっとした運動をする生徒もいる。日本の給食時間には食べ終えた後外で遊べるが上に述べたほどの選択科目がない。

アメリカではチャータースクールという独立した公共の学校を増やす事を目標に活動している。チャータースクールは公共教育にもっと多くの選択科目を増やし、教育的な必需品に対しての想像力のある返答を可能にする。1

何を食べるかが決められている。どれ位食べるかが決められてる。どこで食べるかが決められている。誰と食べるかが決められている。日本の給食文化に決められていないのは給食時間の会話位だろう。アメリカの給食文化と比べても限定されすぎで学校は生徒の自由を減らす。

1762年、ジーンージャクェスルソーは「エミール」という革命的な教科書を出版した。彼はその教科書で「食教育」=「健康教育」=「民主的な主権者を育てるための政治教育」と主張。つまり世の中の主人公、社会の主人公、国家の主人公、それを民主的にする主人公になるためには、まず食教育をちゃんとしなきゃいけないと言うことだ。2自分で自分の体の健康を考え、まともに行動する教育が実の給食教育を言われる。現代の選択もできない日本の給食はルソーが述べた食教育とは距離が遠い。

両国の給食文化は日米社会の違いを現す。日本では給食当番を指名し皿配りから後片付けまでクラスみんなで協力し会う。だがアメリカではお弁当を持ってくる事や食堂に行き給食を買うのは個人的な責任である。これは日本ではみんなで協力し目標を達成しようとするが、アメリカでは個人の力で達成しようとする現象を示すと思う。

アメリカの最近の個人主義の実例には京都プロトコールが思いつく。京都プロトコールとは色々な国が集まり地球の温暖化を防ぐため1997年にできたプロジェクトだ。だが、2005年の二月、アメリカは京都プロトコールに参加するのを中止世界から注目を受けた。このアメリカの行動はアメリカが個人主義だからこそできる行動だと思う。こういう国家的な出来事の反対に、アメリカの選択幅の広い献立や制限されていない給食時間の活動はアメリカが日本より個人主義だという主張を身近で証明している。

参考書
Shallrose, Doris J., “The creativity of Charter Schools” 2001. .
Rousseau, Jean–Jacques., Emile, 1762.

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