便利さから現代人の生活に深く根付いた、使い捨て用品。それのない生活は、一言で、絶対に不可能なことである。すでに、地球上のあらゆる社会は使い捨ての基盤で循環しているからだ。ところで、使い捨て用品はいつよりも論議の的となっている。最近、プラスチックやビニールなどの物質で作られた、物品の環境ホルモンが問題になっているし、資源浪費と自然破壊に関するニュースは、もう新しくもない。その背景で、多数の国家政府は、使い捨て用品の生産と消費を減らすために、色々な環境政策を施行している。そこで、一部のメディアは、人間が自ら招いた環境問題の元凶の一つとして、使い捨て用品を指しながら、もったいない、という口論をけしかけている。なるほど、使い捨て用品は、現代社会の困り者だけであるのか。それ以上の意味はないのか。大量生産と大量消費で表現される今の社会に必修的な原動力の一つである、使い捨て用品の環境問題についての解決策はなんだろう。
一般的に知られている使い捨て用品として、カン、レジ袋、紙カップ、ナプキン、割り箸、ペットボトル、プラスチック容器などの生活用品がある。しかし、その種類は想像以上に多く、ほとんど全ての流通商品に使用されている。タバコのフィルターもビニ-ル包装材も一回しか使えない、使い捨てのものである。ただ、医療機器の一つの注射器は、病原菌の感染を防ぐために、一回以上使うのは法律で禁止にされている。このように使用の頻度が高く、その用度も多様な使い捨て用品は、一方、環境関連の問題で注目を浴びている。その生産は、資源浪費の原因であり、その消費は、環境破壊の主犯になってしまった。実際の所、割り箸や紙製品の生産と消費の増加により、地球上の森林面積が減少、森林資源の枯渇が心配されている。更に、レジ袋やプラスチック物質は、腐敗するまで20年から500年までも所要すると言われている。腐らずに残っているゴミによって、環境が病気にかかっているとの情報が、あまねく広められているのだ。ところが、「腐らずに500年までも残っている、」このフレーズは、本当だろうか。この500年という数字は、誤算である。捨てられた使い捨て用品は、腐敗するまで絶対にそのまま残らず、すぐ掃除人に回収されてしまう。その大部分が、再生利用(リサイクル)の対象で、一部が焼却される時も、エネルギーの回収ができるのだ。埋め立ての場合も、その埋立地が破壊されることはない。韓国を例にしたら、ソウルのある埋立地は公園に造成されて、市民たちに快適な空間を提供している。そこで、環境経営を標榜する企業の数が増えてから、人体に害もなく分解しやすい、ビニールやプラスチック製品が開発され、流通している。使い捨て用品が我々の周りを破壊することだけではない。
使い捨て用品は、ある方式でも再生利用されている。それなのに、環境破壊に関する問題は、たゆまず提起されている。だからだろうか、すでに現代社会で皆が使用している、使い捨て用品の生産と消費を規制しようとする動向が、世界的で見られている。例えば、韓国と日本では、レジ袋が有料化にされ、ゴミのリサイクルは義務化されてすでに久しい。そして、脱使い捨て用品のキャンぺーンが方々で起こっているのだ。彼らは、使い捨ての用品の使用を最小限にすることが、未来の理想と信じているかもしれない。もったいないとは理解しつつも、しかし、使い捨て用品は現代人にはなくてはいけない、必需品なのである。ここで、使い捨ての用品のない未来を想像してみたらどうか。何度も使用する注射器の前で、人間は感染の危険から安全だろうか。女性に必需品な使い捨ての月経用ナプキンがなかったら、女性の社会活動は今より難しくなるかもしれない。更に、ペットボトルなしで、災害で孤立された地域への飲み水の調達はできるのだろうか。やはり、我々は使い捨て用品に頼らず、現在の生活を享受する事はできないだろう。これ程、使い捨て用品は現代人の生活を便利にする事だけではなく、却って現代社会を安全にする側面があるのだ。
勿論、使い捨て用品が環境に及ぼす良くない影響は、まだ多くある。資源浪費と環境破壊などの問題は、使い捨て用品を生産消費する人間たちが解決しなければいけない、当面の課題である。しかし、使い捨て用品を全く使用しないわけには行かない。その代わりを探すには、経済的負担が大きすぎるのだ。代わりに、使い捨て用品の生産と消費の様式を、もっと環境配慮的に進化させる努力が必要だ。環境に被害を及ぼさない、新しい素材の開発とリサイクルの規模拡大化は、今のところ、現在社会が取れる最善の方法だと思う。いつか、使い捨て用品を生産消費しながら、「もったいない」と言う罪責感を持たなくてもいい時代が、来るかもしれない。
2006年11月6日月曜日
使い捨て:現代人の必需品
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