「はい、••くん、次を読んで下さい」と毎週通っている日本語補習校の国語の先生が言う。胸の中から急激に重い感覚がした。昔から僕は国語が一番にがてだったのだ。他の生徒は全員日本で育った子で自分だけアメリカで育った子であった。僕は注意深く示された文章を読み始めるが自分は他の生徒と比べると不器用に聞こえる事は明白だ。翌日、英語の学校の友達の話し合いを聞いていると自分だけが自然と話せる「何か」が足りないと思う。どこに行っても自分だけが違う気分は離れない…
僕は英語と日本語の2言語使用人だ。だが、数年前まで英語のレベルは英語学校の生徒より低かった。日本語の方は昔、補習校に通っていた同級生と比べたら、今は桁近いのレベルに違いない。しかし、二つの言語で育った事は後悔していない。両親と日本の家族と日本語で話せる上、二つの言語を話せる他の有利な点が多いと自分の経験で分かった。2言語使用人の子供に関して、外国語を学ぶ方法と年齢は重要だ。
2言語使用人となる子供は同時と同量に二つの言語を学ぶ必要がある。その上、絶えずに二つの言語を必要とする環境にいなくてはならない。若い頃からでも、学校だけで外国語を学ぶ事は時間と努力の無駄使いかもしれない。今、日本の小学校で行われている英語教育導入は「中途半端」になる子供を産出しているかは分からないが、時間と努力の無駄だと思う。日本では英語を学ぶ必要がほとんどないから、英語を子供に教えなくていいかもしれない。
二つの言語を使用する子供は僕のように不便になる可能性はあるが、将来には問題は解決される。それに、10歳から毎日二つの言語を使用する人は老化に関する結果をカウンターする利益があるという研究が行われている。不便を高まる利益があるから、子供が二つの言語を学べる状況があれば二つの言語を教えたら良い。
2005年11月23日水曜日
2言語を使用するのは利益になる
Posted by
たこ焼き
投稿時間
10:16
登録:
コメントの投稿 (Atom)

3 件のコメント:
成長の過程で、二つの言葉に接する機会のある人はきつくても結局とくになるから、二つ覚えたほうがいいという論理は、わかりますが、一方、そういうチャンスのない人こそ、(つまり、日本のような環境だからこそ)早期教育が必要なのだという議論は、成り立ちませんか。
日本語の補習校にはどのくらい通ったのですか。補習校をやめてから、日本語のレベルを保つために何か特別なことをしましたか。また、英語のレベルが他の人と比較して低いと意識し始めたきっかけは何だったのですか。
どこの国の言葉にしろ、その言葉を必要とする環境が大切でしょう。言葉は耳から入って習得するもの。日常的に耳からはいってくる環境がなければ、折角覚えた言葉も忘れてしまう。日本の教育の場には、この環境づくりに問題がある様に思う。教え込む前に自然と耳に馴染む環境を、柔らか頭の幼児期に整えたら如何でしょうか。
コメントを投稿